科学と人間をつなぐ
取材・執筆:中道真(北海道教育大学函館校 マスコミ研究会)
科学技術コミュニケーションという言葉をご存じだろうか?科学技術と、人々とをつなげるために、その間に立って互いの理解を深める役割を果たす活動である。そうした活動を担う人材育成の組織、北海道大学CoSTEP(コーステップ:高等教育機能開発総合センター科学技術コミュニケーション教育研究部)で客員准教授をつとめるのが渡辺保史さんである。コーステップでは、科学技術コミュニケーションの活動を社会の中で実践していく上で必要な、様々な知識や実践のためのスキルを身につける教育が行われている。受講期間は1年間で、社会人や大学院生など年間約80人の受講生がいる。渡辺さんは、北海道大学の広報誌を企画・制作したり、サイエンスカフェなどの対話型イベントを運営したりする実践型の授業を担当している。
科学をもっと身近に
渡辺さんは、「私たちの日常生活や仕事には、様々な科学技術が非常に大きく影響しています。今や、人間は科学技術なしには生きられないと言っていいでしょう。しかし、その一方で全てが科学技術の力だけでは解決できないような問題もたくさんあります」という。
例えば、地球温暖化問題。食の安全性と遺伝子組み換え作物の関係。再生医療や遺伝子診断の問題・・・等々。研究者や技術者、政策の立案者、産業に関わっている人、そして市民など、立場や利害関係によって問題に対する見解は異なり、合意形成どころか相互の対話もなかなかスムーズにはいかない。そこで、専門家や非専門家など、立場の異なる人々の間に立って、お互いの対話や合意形成、あるいは連携や協働を促していく役割が必要になってくるのである。それが、科学技術コミュニケーションのスキルを持った人間(いわゆる科学技術コミュニケーター)である。
科学技術コミュニケーターの役割は、今述べたような問題に対する仲介役や理解の促進役にとどまらない。子どもたちの理科教育を支援する役目や、メディアで活動するジャーナリストも、コミュニケーター的な存在だ。科学技術が社会の中で「うまく働く」ための仕組みを整えたり、多くの人の間で議論するための材料を作ったり提供したりするのが、科学技術コミュニケーションのスキルを身につけた者の役割といえるだろう。
「日本で科学技術コミュニケーションへの関心が高まるようになったのは、まだこの5年ほどのこと。今後もっとこうした活動が、社会に定着してほしい」と語る渡辺さん。しかし、課題も多いという。「コーステップはこれまで300人を超える受講生を社会に送り出しました。また、札幌駅前の繁華街で行ってきたサイエンス・カフェも50回を数え、科学技術に関する対話型のイベントとしては定着しているように見えます。ですが、もともと科学技術について関心を持っていないような人々へのアプローチはまだまだ。コミュニケーションの手法や対象範囲をもっと開拓していく必要があると思っています。だからこそ、サイエンスサポート函館(SSH)のように地域コミュニティで暮らす様々な生活者を相手に科学技術コミュニケーションを試していく意義がある」と渡辺さんは言う。
科学祭の行く先は
渡辺さんとのつながりは、公立はこだて未来大の美馬のゆり教授からの呼びかけがきっかけ。科学祭、科学網、科学寺子屋の3本柱で展開しようとしていたSSHの活動のうち、人材育成ですでに実績をあげていたコーステップに協力依頼があり、函館出身の渡辺さんがその任を引き受けたのである。科学寺子屋の中で、渡辺さんは函館・道南で科学技術コミュニケーションを担う人材を育てるため、ワークショップや集中講義などのプログラムを企画、統括してきた。昨年夏に行った集中講義では、SSHのコアメンバー(実行委員)をゲスト講師として対話型の授業を実施、単位互換制度によりしないいくつかの大学の学生と社会人とが一緒に受講した。授業の最後には、2010年の科学祭のために企画のアイデアを出して発表したり、8月下旬の科学祭本番では受講生が各プログラムを取材しレポートをウェブサイトに掲載するなど、SSHの他の活動と密接にリンクするような学びを展開している。
渡辺さんは、「科学祭のようなお祭りがもっと早く欲しかった」という。函館ではいろいろなイベントが多いけれども、文化的なものが中心であり、科学を取り扱ったものはごく一部だった。科学技術をメインテーマに据えながらも、ごく普通の市民や観光客に楽しんでもらえるイベントとして仕立てたのは東京や札幌のような大都市よりも先進的でさえあり、共感を持ってもらえるデザインを重視した仕組みが、とても新鮮に映ったと評価する。
その一方で、科学祭などの活動が地域に本当に根づいていくためには、よりステップアップすることも必要だと、渡辺さんは指摘する。「科学技術がメインテーマであるとしても、それを全面に押し出さなくても良いようなイベントになるのが理想ですね。科学祭では体験型のイベントがたくさんあるが、『科学』といった途端に付きまとう『啓蒙くささ』や『お勉強的』なニュアンスをどれだけ薄めることができるか。核心となるメッセージや問題の所在を外さずに、いかに地域の実情や人々の普段の生活のリアリティとリンクすることができるかが課題だと思う」先にも述べたが、科学は現在の私たちの生活とは切っても切り離せない存在。しかし、まだ「科学」というものを意識しているうちは、それを特別視している。つまりは「普段の生活とは関係ないもの、特別なもの」という域を脱していないのである。そう感じさせない、そう思わせない様なイベントにすることが、より「生活」と「科学」とを自然に結びつけることにつながる。それが科学祭の理想形というのが、渡辺さんの考えだ。
夢が膨らむ函館
北大に着任する前は函館で様々な地域活動の「実験」を繰り返していた渡辺さん。今後の函館に期待することをうかがうと、「地域に暮らす市民や、地域の外にいる人を結びつけて、新しい『つながり』を生み出し、様々な実践ができる人がもっと育ってほしい」という答えが返ってきた。「函館という都市は、まちづくりにとって恰好のテキストであり、素材であり、実験フィールドだと思います。観光や文化に関する様々な資源が豊富な反面、人口減少や中心部の空洞化のような問題も顕在化していて、チャレンジすべきテーマがたくさんある。科学技術コミュニケーションに限らず、地域に潜在しているいろいろな問題やテーマを結びつける知恵と人材のネットワークづくりが求められているという想いを、函館にいた頃から変わらず抱いています。科学祭をはじめとするSSHの活動は、従来型のまちづくりの『しがらみ』から自由なだけに、もしかすると新しい『つながり』を生み出すための基礎になりうるかもしれません。SSHから呼びかけて、いろいろなイベントを起こして、つなげたりして、まちづくりに関連したノウハウやシステムなどを多くの人や組織で共有することで、まちはもっと活性化するでしょう。そこに科学技術コミュニケーターが活躍するフィールドがある。科学技術の側からでなく、社会の側、人間の側から地域の課題をどう解決するか、どう対処するか、ということを考えていけば、科学技術コミュニケーションの本当の可能性はおのずから見えてくると思う」と語る。科学から出発しながらも科学を越え、様々な連携や協働ができるネットワークが広がれば、市民全体でまち全体を良く出来るのではないか、と夢はふくらむ。科学技術コミュニケーションの真価が問われるのはこれからだ。
2010年2月取材